価値観の成長
今月成人を迎えた。
心持ちとしては成人を迎えてしまったというほうが適切かもしれない。
20歳ってもっと大人かと思ってた、とよく聞くが本当にその通りだ。
自分が大人になったなど1ミリも感じない。
それどころか今年に入ってからの私は高校生の時以上に幼稚だ。
例えようのない将来への不安に押し潰されそうになり泣き続ける夜もあるし
気分によって態度が変わってしまったり
感情的になって心ない言葉を口走ってしまうこともある。
また、高校生の時のほうがよっぽどか集中力も決断力も体力もあった。
特に集中力は本当に落ちてしまったなあと情けなくなる。
しかし高校生の頃より成長したなと感じられる部分もある。
それは視野が広くなったことと価値観の変化だ。
元々大勢の人と関わることが苦手なので極力人との関わりを避けてきた。
自分を傷つけない人としか関わりを持たなかった。持つ必要もなかった。
しかし一人暮らしを始め、新しい土地で生活をすると自ずと今まで関わったことのない
ような人とも関わることになる。
新しく出会った人の話を聞く、
異なる価値観に触れる、視野が広がる。
世の中には本当に様々な人がいるのだと少しだけ知ることができた。
そして当たり前なんてどこにも存在していないと知ることもできた。
特に私に新しい価値観を与えてくれたのは夢を追っている子だった。
リアリストの私には無縁だった”夢”を初めて眩しくて美しいものだと感じた。
夢を追うなんて馬鹿馬鹿しい、そんな風に斜に構えていた自分が恥ずかしいと思う程
夢を語る子は皆キラキラしていたのだ。
というよりアイデンティティクライシスに直面している私にとって揺るぎない”好き”があることに憧れたのだ。
お金こそが1番の幸せだという虚構の価値観が崩れて幸せの価値観を1から再考する中で、
こうしたキラキラした子達との出会いは今まで軽蔑してきた類の”やりがい”や”自分の好きなこと”は私の人生において重要な鍵になっていた。
未だに大勢の人と関わることは不得手だが、人との出会いに感謝できるようになった。
大学入学当時とは明らかに価値観が変化した。
価値観が変化したことによって自分の心に耳を傾けようと意識するようになった。
また、自己投資をしようと思えるようになった。(主に勉強費用、本)
つまり自分の人生と初めてしっかり向き合い始めたのだ。
冒頭、成人になってしまったと書いたが私の人生は始まったばかりだ。
まだこれだ!と没頭できる好きなことは曖昧だが自分と向き合うことを諦めなければ道は開けると信じてる。
自分を信じることを諦めない。
これは20歳を迎えた2018年5月の決意表明だ。